「先生」と呼ばれること

「先生」と呼ばれること

議員を「先生」と呼ばないで。
昨年秋から冬にかけて、大阪府議会での議論が話題になりました。

NHK NEWS WEB
『“議員を「先生」と呼ばないで” 大阪府議会 議長ら提案 』
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220921/2000066583.html

「先生」という呼称で呼ばれる人はたくさんいます。
今回話題になった議員さん。そしてお医者さん、弁護士さん。一番馴染みが深いのは、教育現場での「先生」というお仕事でしょう。

私は、大学新卒の時から、ずっと教育関係の仕事に携わってきました。
20代の頃には自ら学校や学習塾の教壇に立っていましたので、私も「先生」と呼ばれる立場で仕事をしていました。
今でも、教育業界の一部の方は、私を「先生」と呼びます。

思い返せば「先生」と初めて呼ばれたとき、とても緊張したことを思い出します。
なぜなら、私が学生だった時の「先生」と呼ばれている人は、尊敬に値する方が多かったからです。
人としての振る舞い、教科指導の力、先を見る力・・・私はとてもこの方のようにはなれない。そう思わせられる素敵な「先生」とたくさん出会ってきました。

私が、そんな尊敬する大先輩と同じように「先生」と呼ばれてもいいのか・・・
自信もなく、不安であり、けれども少し誇らしくもあり・・・
「先生」と呼ばれることに値する、そんな立派な人間に成長していこうと決意したものです。

おそらくですが、どんな業界においても、はじめて「先生」と呼ばれる方の多くは、みんな私と同じような緊張感を持ってキャリアをスタートされたことかと思います。

しかし、この「先生」という呼称は魔物でもあります。

教育現場を例に挙げた場合、「先生」が向かい合う「生徒」という立場の方は、当然ながらある特定の分野において「先生」と比較して知識や技能が不足している方です。
ですから「先生」はその「生徒」に対し、物事を説明し指導する、そんな役割を担うことになります。

そのようなシーンを長く経験するうちに、一部の「先生」の中には勘違いをし始める方が生まれます。
自分は「生徒」より優れている ⇔ 「生徒」は自分よりも劣っている。
そのような心理に陥り、謙虚な姿勢を失い始める方もいます。

そんな勘違いに陥りそうになった時は、冷静に考えてみましょう。
「先生」はたまたま、「生徒」より特定の知識や技能において、少し秀でているだけです。
特定の分野に深い知見があることは事実ですが、それは人として「生徒」より偉いということではありません。
あくまで人としては「先生」と「生徒」は対等なはずです。
例え「生徒」が人生の後輩にあたる年齢であったとしても、それは同じです。

「先生」と呼ばれる方には、その点を冷静に意識し続けていただきたいと思います。
「先生」と呼ばれることへの慣れが、やがておかしな奢りに繋がらないように。そう願っています。

私たちこどもICT教育支援センターでは、「先生と生徒がともに学び続ける」そんな教育活動を常に提唱しています。
プログラミング講師が、「先生」という呼称に溺れず、自ら謙虚に学び続ける。その姿勢を重要視しており、セミナーや研修でも常にお願いをしています。

さて、冒頭のお話に戻ります。

議員の皆さんが「先生」と呼ばれること、そこに私は反対ではありません。

問題の本質は、「先生」という呼称にあるのではなく、そう呼ばれる人の振る舞いにあります。
「先生」と呼ばれても、市民の立場をないがしろにせず、一生懸命活動される議員さんに対してなら、その呼称はありではないでしょうか?
その議員さんの活動から市民は学ぶべきことも多いわけですから、正に「先生の鏡」です。

ただ、「先生」と呼ばれることに慣れ、勘違いをし、奢り高ぶり、市民を見下す。
そういう議員さんがもしいらっしゃったとなれば、それはとても残念なことです。
今回の府議会の議論は、そういう一部の議員さんの存在から始まったのではないのでしょうか。

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進藤 整是

こどもICT教育支援センター 運営会社代表

国内最大級の福祉系資格スクール経営経験20年。講座企画・募集営業・広報・IT化推進・総務などスクール経営の中核業務に精通したスペシャリスト。

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